イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

夜枕の絵本 Season 2 キャリア -①

 

首筋に筋張った上腕二頭筋がきつく絡みついた。

 

「ねえ、今日もすごくいい……。下になっていい?」

 

女はそう言って深い息を吐くと、首筋から両腕を解き、そのままベッドに荒々しく崩れ落ちた。御手洗貴明(みたらいたかあき)はシーツを握る女の指を摑んだ。左手薬指の下には、ワイシャツボタン大のマメがある。武道始めに向け、日々剣道の練習に励んでいるのだろう。御手洗はそろそろこの女との関係を終わりにしなければいけない、と思った。性行為中にそう思える自分は、意外にも冷静なのだ。かつては無我夢中で女を押し倒したが、ここ数ヵ月はどこか夢見心地で眼前の女体を捉えることができる。御手洗は、不惑をとうに過ぎた自分が急にプレイボーイになった気分で誇らしかった。

 

「ねぇ。この前、変な女に会ったのよ。まぁ、うちがパクったホシなんやけど」

 

行為が終わると、女はいつの間にか刑事の目になっていた。御手洗は、これだから女性刑事はタチが悪い、と内心思った。

 

京都府警生活安全部の女性刑事、神崎(かんざき)光子(みつこ)――。関西随一の体育大学を4年で卒業後、京都府警に鳴り物入りで就職した14年目の中堅だ。採用後、古都の中枢を管轄する大規模署を転々としていたが、数年前、当時の上司により京都府警本部生活安全部に引き抜かれた。

俗にいう〝生安(せいあん)〟は違法飲食店や風俗店の摘発、さらに少年犯罪などを扱い、その捜査範囲は幅広い。時に、若者が跋扈する盛り場に潜入捜査する必要があることから、一見して捜査員には見えない派手な若手警察官が配属されることでも知られる。街に溶け込める女性警察官は貴重な存在なのだ。

 

「最初はこんな見てくれなのに、なんで生安って思った。そのうち調べの担当ばっかりやらされることになって。私に限っては容姿採用のほうちゃうねんな」

 

光子はことあるごとにそう自嘲気味に言ったが、御手洗はそこに光子の仕事に対する強烈な挟持(きょうじ)を感じ取っていた。20代で職場結婚をするのが一般的な婦警だが、35歳の光子は結婚適齢期をとうに過ぎ、刑事一筋で仕事に身を捧げてきた。光子は、間違いなく生安に籍を置く若手ノンキャリ刑事(デカ)のホープだった。
光子が身を翻して言う。

 

「ねぇ、御手洗さん。そのホシがね、ばびろん玲子っていうツイッターアカウントを持っている女なんやけど、マスコミでも取り上げられるくらい有名なんよ。今日は帝国ホテルでディナー、明日はディオールでお買い物。そんな煌びやかな日常を投稿している女やった。でも、そんなの嘘っぱちやねん。中国から仕入れたパチモンを本物や言うてネット販売していただけの話。でも、この子な、調べの席でもホンマに不気味やってん」

 

御手洗は、光子の言葉に上の空で「そう」と一言答えた。光子とは二度と身体を重ねることはないだろう。いや、二度と会わないかもしれない。そのとき、御手洗は確信めいた感情を抱いていた。