イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

夜枕の絵本 Season 1 バベル -①

 

プラチナ通りの銀杏並木をくぐり抜けると、白亜の高層マンションが目の前に飛び込んできた。地上40階のレジデンス棟に住んでいるのは、憧れの大物女優や舞台俳優だ。松島早苗(まつしまさなえ)は、ピンヒールブーツをアスファルトに打ち付けると、スマートフォンの画面に目を落とした。画面に映ったのは、3日前に表参道のネイルサロンで仕上げたピンクと白の花びらネイル。我ながら良い出来だと思う。派手過ぎず、主張し過ぎない。柔らかな色彩の小ぶりなラインストーンも気に入っている。
早苗はツイッターのアカウントを開き、こんな文面を投稿した。

 

〈今夜はコルトン・シャルルマーニュ、95マルゴー、ルソーの09シャンベルタンと添い寝どす。女2人のサタデーナイト〉

 

「あの、ちょっとすみません。ばびろん玲子(れいこ)さんですよね」
早苗は背後の声にハッとした。自分よりも5歳は若く見える女子大生風の女の子が上目遣いで立っている。ビビットオレンジのニットが初々しい。
「あぁ、はい」
早苗は伏し目がちに返事をすると、右の睫毛を中指で押さえた。ちょっとでも大きな瞳を演出するための自然な仕草だ。この子、どこかで会ったことがあったかしら。ミッドタウンレジデンスで催された異業種交流会に居合わせた弁護士志望の子、いや違う。中目黒のパパ活パーティーで出会った女子大生かもしれない。
彼女は早苗の柔和な首肯に安堵の表情を浮かべると、前のめりで言葉を続けた。
「やっぱり、ばびろんさんですよね。あのー、いつもツイッターを見てて。あたし、ホントに憧れてたんですよー。ホントに毎日見てるんですよ」
彼女が差し出してきたスマホ画面には、早苗が1日前につぶやいた文面が並んでいた。

 

〈ハリー・ウインストンで落ち合って、かねさかでお鮨つまんで、リッツ・カールトンにステイして〉

 

彼女の質問攻めは続く。
「このつぶやき、ホント最高です。銀座のかねさかっていうお鮨さん、一度行ってみたかったんですよね。やっぱり美味しいんですよね。きっと予約取れないですよね」
そう言うと、肩をすくめて笑った。
早苗は、ツイッターではちょっとした有名人だった。「ばびろん玲子」というハンドルネームでツイッターを始めて4年が経過している。年間400件、計1600件以上のつぶやきの大半は、日常生活の赤裸々な告白だった。例えば、その年の晩夏には、こんな文面を連投し、フォロワーの間で話題となった。

〈日本でいうと夏の終わりは9月かしら。秋深くなりし頃、ばびろんさんはプライベートヴィラでプール開き〉
〈秋冬物のお買い物は、アイテム一つにOL1ヵ月分のお給料が余裕で飛んでいく。今月だけで株式会社ばびろんは何人のOLを雇ったのかしら〉
〈いまのシーズンのばびろん玲子さんはサントリーニかサルデーニャ。イビサあたりにいます。そして、ときどき港区。来月に入れば、コモ湖も良いかしら〉

 

すると、瞬く間にツイッターは拡散し、ネット上には「こいつ何者なの」「羨ましすぎる」という書き込みが殺到した。早苗は、そんなネット上の反応を楽しんでいた。世間では、港区に棲息し、誰もが羨む日常を送る若い女性を「キラキラ女子」「港区女子」というらしい。私はその称号に相応しい女なのだ。
「あ、いま新しいツイートが届きました。へぇ、今日は女子2人で高級ワインの会なんですかぁ。やっぱり、ホント憧れます。私もいつかばびろんさんみたいになりたくって」
早苗は、彼女が一瞬こちらに目を向け、マツエクに目をやったのを見逃さなかった。こんな小娘に愛嬌を振りまいている暇はない。