イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

CONTENTS ─

夜枕の絵本 Season 2 キャリア -⑤

 

御手洗は、自分自身のことが書かれた新聞記事を一読し、天を仰いだ。

 

〈警察庁に勤務する40代の男性警視長が、警視庁と取引のあった会社の女性と不倫関係になっていたことが警察庁関係者への取材で分かった。この会社はイベント関係の仕事をしており、警視庁の業務を受注していた。警察庁は情報漏洩などがなかったか調べる方針を示している〉

 

御手洗は半年間に及ぶ監察官の事情聴取を受けた末、静子のイベント会社「アカギエージェンシー」に対して警察内部に口利きをした事実が浮上し、さらに数千万円の利益供与が確認された。
17年2月、御手洗はすべてを失った。
御手洗は監察による聴取の初日、こんな不毛なやり取りがあったことを朧気に覚えている。

 

「これだけ教えて下さい。情報源はどこですか?」
「ネタ元を明かすことはできない。そんなこと分かっているだろ」

 

すぐに静子のことが頭に浮かんだ。

 

「彼女にも聴取をするんですか?」
「そんなこと答える必要があるか。こっちは淡々と調査をするまでだ」

 

妻と子供はどうなるのか。このまま俺は組織を追われるのか。

 

「私はこの先、どうなるのでしょうか」
「それは監察の調査次第だろう」

 

たしかに予兆はあった。その1ヵ月前、静子が忽然と姿を消したのだ。御手洗が1週間の地方出張を終えてグリーンヒルズに戻ると、すでに鍵が取り替えられ、退去済だった。もちろん携帯電話も繋がらない。

 

「今からでも間に合うんじゃないかしら――」

 

あのとき、ベッドで静子がつぶやいた言葉が残酷に響いた。
その後、御手洗は世間体を気にする妻と離婚の道を選んだ。自宅を売却し、慰謝料に充てたが、向こう15年は養育費を支払い続けなければならない。御手洗はその現実を重く見て、家賃5万円のアパートで一人暮らしを始めた。

 

その頃、御手洗は銀座の喫茶店で家鋪と再会した。

 

「お前、だから言ったじゃねえかよ。あのとき、気をつけろって言ったろ」

 

家鋪が甲高い声で笑う。
「御手洗な、俺は女で沈んだんじゃねえよ。付き合っていた男がたまたま反社だったというだけでな」

 

御手洗は家鋪を正面に見据えて言葉を続けた。

 

「家鋪さん。でも、僕はこれだけは言えます」
「何だよ」
「……夢のような1年間でした」
「いまさら何言ってんだ、馬鹿野郎。すべてを失ったくせによぉ」

 

重い間があり、再び御手洗が口を開く。

 

「あの子、もう連絡取れないんですよね」
「あぁ、あの噂の女のこと?」
「噂の女って、静子……ですか」
「ああ、そう。赤城静子ってんだろ。あの日は思い出せなかったけど、よく知ってるよ。あの子は昔、銀座でナンバー1だったんだ」

 

水商売歴があるのは薄々気付いていたが、ナンバー1がどのようなものかは御手洗には想像が付かなかった。

 

「それでな、静子は警視庁との取引を終えた後、どこと取引を始めたと思う?」

 

家鋪がもったいぶった様子で御手洗に顔を近づける。

 

「いや、共通の友人もいないので分からないんです」
「それがな、各国大使館なんだよ。アフリカや中東の発展途上国があるだろ。それらの大使館関連のイベントを一手に担って億単位の取引だってよ。そして、それを繋いだのは誰だと思う?」
「いえ、想像も付きません」

 

数秒の間があった。

 

「俺をハメた男。熊沢一人だ」
「この前、名刺をもらった……」
「そう。あいつ、静子と組んだんだ」

 

そう言えば、家鋪が懲戒免職になった日、しきりに静子が気にしていたのが熊沢だった。なぜ、2人は繋がったのか。いや、それは愚問に違いない。彼女のバイタリティからすれば、狙った男に接近するのは造作もないことなのだ。

 

「それでもお前さぁ。赤城静子のこと、いい女だって言えるか?」
御手洗は顔を持ち上げて言った。

 

「本当に……あんなにいい女はいませんよ」
「そうか」

 

家鋪は照れ笑いのような表情を浮かべた。

 

「あの、先輩」
「どうしたよ」
「私は……彼女のおかげで最高の警察人生を送ることができました」

 

御手洗はそう言うと、人目も憚らず泣いた。