イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

CONTENTS ─

夜枕の絵本 Season 3 チェリーブロッサム -③

 

道玄坂小路の石段を上ると、ラブホテル街の一角に性感ヘルス「プチキャット」の看板が見える。未有は昨夜の雨で濡れたアスファルトを踏み外し、尻餅をついた。

 

「大丈夫ですか。お尻、濡れちゃったね」

 

そう言いながら手を差し伸べてくる女がいる。15センチ以上のハイヒールから真っ白い脚が伸びている。見上げると、最近「歌舞伎町ヨーデル」で見なくなった柏木玲子だった。予想外の邂逅(かいこう)に言葉を失っていると、玲子が再び口を開いた。

 

「だよね。あの、歌舞伎の……実は初めましてじゃないよね」

 

語気は鋭く高圧的だが、顔は柔和な笑みを湛えている。未有はその様子に威圧され、元来の人見知りも発動し、「歌舞伎町ヨーデルの……ですよね」と媚びを売るように話した。龍彦は私のモノという明確な意思をさり気なく含ませたつもりだった。

 

その日、「プチキャット」の待機所は2人だけの空間だった。初めて入店した玲子は面接を終えると、その感想を述べる間でもなく、唐突に子供の話を切り出した。

 

「ねぇ、子供ってどうしてるの? 私のこと、龍彦から聞いてるよね」
「うん、龍彦から聞いてるし。長崎から子供連れてきてるんだよね。あたしもそうだけど、子供いると大変だよね」

 

未有がそう言うと、玲子は上の空で答える。

 

「私さぁ、まさかこんな生活になると思わなかったんだよね。だって、前の旦那は20歳も上で、結構良い生活させてくれてたんだから。地元の先輩の繋がりのヤクザだったんだけどさぁ。それが離婚して東京で子供と暮らすなんてね。しかも、ここ風俗だよ。毎日汚いオヤジのあそこシャブッてさぁ。マジで掃き溜めじゃん。こんなの元旦那が知ったらどう思うんだよって」

 

気まずい間が流れ、さらに玲子が髪を掻き上げながらいう。

 

「ばびろん玲子っていう女、ちょっと前に流行ったじゃん。あの子、私の地元の同級生なんだよね。あの子さ、私のこと憧れてたんだから。本名は早苗って言って、昔はホントに地味でモテない子だった。肌は浅黒くて椎茸みたいで。でも、地元を飛び出して、気づいたらツイッターで私の名前、玲子を名乗ってたんだ」

 

ばびろん玲子のツイッターのつぶやきは、強烈な印象を持って未有の記憶の中にある。あの頃、未有は確かに彼女に心を奪われていた。

 

〈私のように大して綺麗でなくても、多少のユーモアとおっぱいがあればだいたいのお金持ちはついてきます。胸を揺らしながらふわふわと笑うのです。シンプルイズベストどす〉

 

空で言えるほど読み込んでいたツイッター。そして、目の前にいるのは「玲子」なのだ。いったい、どちらが本物の「玲子」なのだろうか。

 

「あいつ、中学では結構虐められててさぁ。高3で初めて付き合ったのが、3歳下のヤンキーだった。でも、あるとき私の彼氏がそいつをボコボコにしちゃって可哀想だったな」

 

未有にとっては衝撃的な話だった。

 

「私なんて、高校出てから結婚して、Sクラスのベンツを買ってもらって、旦那の手下(テカ)に送り迎えさせてさ、何不自由なく暮らしてた。そんな私がさぁ、クソみたいな風俗で働くなんて思わなかったよね。私、ホストなんて興味なかったもん。はっきり言って、東京に来るまでは人生舐めまくってたな」

 

学校における階級をスクールカーストと呼ぶならば、玲子は間違いなくその上位1%に鎮座するようなプレミア級の女に違いない。未有は思った。あたしと玲子は違う星の下で生まれたのだ。あたしはどう転んでも学校で男子に虐められていたばびろん玲子の側の人間である。一生懸命背伸びして、ヤンキーを気取っていたけれど、内心はいつも何かに怯えていた。でも、あたしと玲子は今こうして同じ風俗店に流れ着き、同じホストを共有しているのだ。