イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

夜枕の絵本 Season 3 チェリーブロッサム -⑥

 

桐谷未有の名が全国メディアで報じられたのは、それから約2ヵ月後のことだった。
 

その日、勤務先の風俗店「プチキャット」の店長から
「女性従業員と何ヵ月も連絡が取れない」という通報が警視庁渋谷署に入り、マンションの管理人と共に現場に踏み込んだところ事件が発覚したのだ。未有の逮捕容疑は、2ヵ月にわたり自宅に帰らず、双子の二児の育児を放棄した保護責任者遺棄致死だった。
その後、未有は20日間の勾留期限を待ち、殺人罪で再逮捕された。ある日、静子のもとに1通の封筒が届いた。差出人は桐谷未有。裏面には刑務所の検閲印である桜の花弁のマークが施されていた。

 

 

赤城静子様

 

私はいま冷たい部屋の片隅でこの手紙を書いています。逮捕の日からずっと静子さんのことが心残りでした。私を信じて応援してくれ、何度も連絡をくれたのに、それを裏切って大変な事件を起こしてしまいました。本当にごめんなさい。

 

2ヶ月間、私がどこで何をしていたか――。もうご存知でしょうけど、私は玲子の彼氏と関係を持ってしまったのです。玲子が留守中の昼間に初めて関係を迫られたとき、私の中で何かが壊れたような感情が芽生えました。あのとき、玲子の部屋ではグンニーバが五角形の小さな眼で私を凝視していたのです。恐ろしさのあまり、私は祥太郎の肩に死に物狂いでしがみついていました。

 

私の中には、2人の「玲子」がいます。ひとりは私がずっと憧れだったばびろん玲子。もうひとりは、そのモデルとなった彼女の同級生の玲子です。祥太郎は、その2人の玲子の間で彷徨っていた男でした。憧れの「玲子」の男と関係を持つことが出来て、私の中で満たされたものがあったことは事実です。
いえ、それは単なる言い訳かもしれません。私は最初から破戒を望んでいたのです。祥太郎と関係を持つことは、すべてに対しての復讐だったのかもしれません。一度関係を持ってからというもの、私たちは熱海や小田原を旅行しました。私は毎晩彼から求められ、あの頃は本当に幸せでした。

 

静子さん、どうか本当のことを教えてください。グンニーバを愛せないのは私だけなのでしょうか。玲子や祥太郎はあんなにも可愛がっているのに、私にはみるみる醜さを増しているように思えたのです。ホスト遊びをするたびにグンニーバの体は膨張し、恐ろしい形相で私を睨みつけてくるようになりました。静子さん、グンニーバは醜悪な私自身の姿なのでしょうか。私はグンニーバから逃げたかったのです。

 

私が人生を語るのなんて痴(おこ)がましいけれど、少しだけ私自身のことを語らせてください。私は大阪市の外れに生まれました。小学校時代、私には夢がありました。
それは「いいお母さんになること」。でも、私の両親は小学校1年生のときに離婚してしまったので、私にはお母さんの記憶がまったくないのです。家族みんなでテーブルを囲んで一家団欒という風景は一度も経験したことがありませんし、「いいお母さん」といっても、どういうものかイメージが湧きません。

 

唯一のお母さんの思い出は、絵画にまつわるものです。彼女が時折眺めていたのは、髪の長い女が徐々に朽ち果てていく、9つの段階を記した仏教絵画の九相図(くそうず)というものでした。
1枚目のそれは、病床で艶やかな髪をした女が目を閉じ、着物に包まれているものでした。眠っているのか、死んでいるのかも分からない。
やがて女の四肢や腹部がぷっくりと膨らみ、皮膚が溶け落ち、地面に溶け込んでいく。顔のあらゆる要素は溶解し、脂肪は剥げ落ち、血液や体液が溢れ出て、やがてのっぺらぼうの女に変化するのです。性別も分からない物体は青黒く草陰に沈み、骨と皮だけが周囲に散乱する。そこにあるのは人体らしきもので、次第に吹きさらしの山林と同化していくのです。

 

あれは6歳の頃。お母さんが私と2人の妹たちを連れて、突然家を出ようと言い始めました。後から聞いた話によると、パート先で別の男の人と親密な関係になったのが原因でした。
それから約1年間、私たちはお母さんと不倫相手と暮らしていました。あの頃は、食事代として1日500円を手渡されていましたが、お母さんは朝方まで帰ってきませんでした。でも、私は親から育児放棄をされていたとは思っていません。それは普通のことだったのです。
小学校にあがると、私たちはお父さんの元に戻ることになりました。その頃、お父さんは学校から帰ってくると、よく一緒にマラソンの練習をしてくれました。お父さんは市内のラグビー強豪校の監督をやっていました。
小学校5年生の冬、そんなお父さんと練習したお蔭でマラソン大会1位になったのです。

 

お父さんが再婚したのは、中学校にあがる直前のこと。義母には連れ子が1人いました。私はその義母とも折り合いが悪く、私たち3姉妹は、何をするにも自分たちだけが差別され、新しい靴すら一度も買ってくれませんでした。中学時代、お父さんは仕事が忙しくなり、家に帰るのはいつも深夜でした。そのうち休日も家にいることが少なくなりました。

 

「お父さんを困らせたい」

 

私がそう思うようになったのは、ちょうどその頃です。中学2年以降は、ヤンチャな友達と夜遅くまで遊ぶようになっていました。ヤンキーといっても、コンビニやファミレスに他校の生徒や先輩の男子と集まり、ただ話しているだけ。その当時、私は彼氏、彼女の関係としてちゃんと異性と付き合ったことはありませんでしたから。それで夜になると、仕事を終えたお父さんが決まってコンビニに迎えに来てくれました。そして、毎日一緒に帰るんです。そして、コンビニで買った粗挽きハンバーグのパックを温めて食べさせてくれるのです。

 

地元の中学を卒業後、東京の専修学校に3年間通い、卒業後は地元の日本料理屋に就職しました。その後、その店で知り合った男性と結婚し、双子をもうけましたが、1年半で離婚しています。離婚の原因は、別に男ができたからで、子育てが嫌になったという理由ではありません。その頃よく通ったのは、お父さんが監督を務めるラグビー部の試合会場でした。幼い桜花と桜太は選手たちに可愛がられ、私は本当に誇らしかった。
離婚してしばらくしてから、私は幼い子供を抱え、風俗情報誌の求人を頼りに東京にやってきました。

 

実は、私は上京するまで2回しかマトモに男の子と付き合ったことがありません。ひとりは専修学校のときに付き合っていた人。もうひとりは、桜花と桜太のパパです。上京した日、私はお父さんにこんなメールを送りました。

〈私は私で生活していくし水商売でも私は恥ずかしいこと今してないし、これからも今までどおり頑張っていきます。今後いちいちどこにいるとか住所とか言うつもりないし、連絡もすると迷惑みたいなのでこれで最後にします。まだやりたいこと やらなきゃだめなこと いっぱいあんねんもん〉

 

 
あの日に私が見たものを思い出すたび、私の喉はカラカラに渇いてしまいます。2ヵ月ぶりに部屋に戻ったとき、私の目に飛び込んできたものは、リビングルームに繋がるドアを封鎖したガムテープでした。
私はあの家を飛び出す前に、あの子たちが勝手に外に出ないようバリケードを張ったのです。

 

リビングに進むと、冷蔵庫には小さな手の跡が3センチ間隔で付着していて、あの子たちの手はこんなに小さかったのかと思いました。玄関口を振り返ると、ドアの壁面に粘着テープがぶら下がっていました。2人の子供の遺体は、どちらも目鼻があった部分の皮膚がずり剥け、頭蓋骨が茶色く腐敗していました。周囲を無数の小蠅が舐めるように飛翔していて、その様子を私はボーッと何時間も眺めていたんです。

 

静子さん、私はどうかしていました。だって、2ヵ月間自宅に帰らずとも、カップラーメンやコンビニ弁当を部屋に置いていったのだから、子供たちは生きているはずだと本気で思っていたのです。いえ、信じてください。本当にそう思っていたのです。

 

そのとき、私は幼い頃にお母さんが見ていた九相図を思い出しました。とりわけ目に浮かんだのは、死体が灰になる直前を描いた女の絵です。
いま思えば、こういう絵だったのではないでしょうか。荒涼の地に横たわった女の目は、はっきりとした意思を持ち、こちらを睨んでいます。みずからの右手で女性器を開き、まるで熟れた柘榴(ざくろ)の実のように子宮を晒すのです。
鳥獣が頭上を縦横無尽に舞っています。それを感じながら、女の目は強く微笑んでいました。こんな姿も美しいでしょう、と言いたげな表情を浮かべながら。そのとき私は愛する子供たちの表情と、そのときの絵画を重ね合わせていました。

 

静子さん、私は昨日久しぶりに夢を見たんですよ。それは、桜花と桜太と3人で薄暗い大海原を航海している夢でした。船頭も乗客も罪人ばかりです。
私が子供たちに「今日は粗挽きハンバーグを食べてからお父さんのラグビーの試合を見に行こうね」と言うと、周囲の罪人たちは後ろ指をさし、せせら笑いを浮かべていました。それでも私は、この子たち2人がそばにいてくれれば、それだけで幸せだったのです。

 

 

追記
静子さんは私にこう言いました。
「世界の終わりと始まりを同時に経験するの」
なんだかワクワクする言葉でした。私が懲役を終える30年後、世界はどうなっているのでしょうか。その頃、私たち3人はどのような世界を航海しているのでしょうか。