イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

夜枕の絵本 Season 4 リーダーズ ②

「今日はスペシャルゲストがいらしています。ゲン兄です!」

 

と権堂の絶叫。その瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれ、玲子の鼓膜を絶え間なく叩いた。
宇奈月(うなづき)弦(げん)太朗(たろう)――。大手出版社勤務の編集者時代は多数のタレント本を手掛けてミリオンセラーを連発し、世間に名を知られた男である。次第に自身が手掛ける〝宇奈月ブランド〟は芸能界に轟き、豊富な人脈を形成する。

 

「宇奈月の轍(わだち)に金脈有り――」

 

時代の寵児として持て囃された宇奈月は、やがて独立を果たした。ミリオンセラー連発で降って湧いたあぶく銭を元手に市場に顔を出し、強気の仕手戦を仕掛けることで巨万の富を得ると、政財界の有象無象を取り込み、やがてフィクサーとして知られるようになった。不気味にパンプアップした大胸筋を前面に押し出し、太く短い足で歩く様はさながらタコ社長といった風情だが、この日の宇奈月はいつにも増して鋭い眼光を放っていた。
権堂が金切り声で観衆を誘導する。

 

「僕の大師匠、人生の大師匠、経営の大師匠です。皆さん、ゲン兄の話に耳を傾けましょう」

 

宇奈月が壇上で大仰に両肩を回すと、場内は水を打ったように静まり返った。目を閉じてマイクを握ること、5秒、10秒、20秒――。その間、観衆は催眠にかかったかのように微動だにせず、宇奈月の口元を凝視している。
宇奈月はフーっと深い息を吐き、目を見開くと、ようやくタラコ唇を微かに動かした。

 

「えっと、一言だけね」

 

 観衆が息を呑む。

 

「この権堂はね、私の息子です。以上だ」

 

宇奈月はそのままマイクを置き、大股で壇上を去っていく。観客が「オオ~ッ」と歓声を上げ、こぞって握手を求めにいく。宇奈月はひとりひとりの目をギョロッと睨むと「圧倒的に努力せえよ」「顰蹙(ひんしゅく)は買ったもん勝ちだぜ」などと言いながら、自慢の鳩胸を観衆のひとりひとりに押し付けている。玲子は芝居がかった宇奈月の一挙手一投足につくづく呆れ果てたが、同時に心底感嘆の念を抱いた。〝場面〟の天才が作る空気には1秒の無駄もないのだ。御年70を越えているが、体中に宿る熱量は目に見えるようだ。

 

「おう、君もいたのか」 

 

玲子は不意に自身の尻を摑まれた。振り向くと、宇奈月が歯茎を出して微笑んでいた。

 

「宇奈月さん。私は権堂の秘書ですので」

 

宇奈月は背後にサイン待ちの行列を率いている。

 

「おい、君。葉山には行けるのか」

 

――そのとき、会場前方から女性の金切り声が上がった。

 

「権堂社長、本当に既婚者なんですか!」 

 

玲子が観衆を掻き分け、壇上前に駆け込むと、ひとりの女性会員が床に崩れ、両手を投げ出して号泣している。

 

「あぁ、びっくりさせちゃったね。ごめんなさいね。皆さん、これはプライベートなことなのでね」

 

マイクを握った権堂は、そう呟くばかりでバツの悪い顔をしている。

 

また始まったか――と玲子は思った。権堂をカリスマと仰ぐ「風雲リーダーズ」の女性会員たちは、経営者としての資質を権堂からの寵愛の深さと同義に捉えていたが、当の権堂は彼女たちに手を付けることが日課だった。

 

「君を幸せにする」と甘言を吐けば、誰もが権堂のペニスを恭しく受け入れた。権堂にとって、己に憧れる若手女性経営者と一夜を共にすることは、赤子の手を捻るような日常的な所作だったのである。だが、それはしばしば男女関係の軋轢を生んだ。権堂が既婚者であることを知った女性たちが会場で発狂するというのが一度や二度ではなかったのである。

 

パーティー終了後、社長室に戻った権堂は憤懣やるかたない様子で玲子を乱暴に押し倒した。

 

「ああいう女性会員は今すぐ追い出せ。僕に恥をかかせやがって。この損害は1億や2億じゃ済まないよねぇ。名誉毀損罪、侮辱罪だ。刑事告訴してもいいよねえ」

 

権堂はそう言いながらズボンを脱ぎ、紅潮した頬を玲子の乳房に押し付ける。

 

「僕はね、君みたいな女がいいんだよ。女って奴はね、だいたいみんな勘違いを始めるのよ」

 

玲子は権堂の身体を払い除けると、無言でフローリングに屈み込んだ。目の前にあるのは、濃色に変化した虎と羊のトランクスであった。2体の動物が織り成す風景には、まるで躍動感がない。四肢のくびれた2つの物体がじゃれ合い、泣き笑いの表情を浮かべているように見えた。鼻孔の奥にアンモニアの香りを感知した。

 

――あぁ、この人は恐怖だったのだ。壇上で関係を持った女から不倫を糾弾され、湧き上がる戦慄に耐えられなかったのだ。

 

玲子の上に覆いかぶさった権堂は、今日の出来事を洗い流すかのように歯を食いしばりながらコツコツと腰を動かし始めた。玲子は小刻みな動きに身を任せながら、権堂の後頭部をそっと撫でた。熱い呼気に耐えかね顔を右方に向けると、ジャケットの内側から「神(シン)」が顔を擡(もた)げていた。