イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

CONTENTS ─

夜枕の絵本 Season 5 フルフェイス ③

事件発生当日、現場に駆けつけた庚申塚は、河川敷でマスコミに睨みを利かす男女に声を掛けた。当時16歳だった沙也加、そしてリョウの2学年上で当時中学3年生だった弟のダイチだった。川崎で「大師公園の鬼頭兄弟」と言えば、沙也加とダイチの他、当時20歳の兄を含めた3兄弟を指す。土建会社を営む鬼頭の父は大師公園を見下ろす築40年を越えた雑居ビルの上階を買い上げ、兄弟だけで住まわせていた。御多分に漏れず彼らの両親は放任主義であり、氏素性を知る者は誰もいなかった。長男は中学卒業後、川崎を根城とする指定暴力団の構成員となり、部屋住みをしていた。ゆえに雑居ビルは地元の不良グループの溜まり場になっていたのである。

 

「鬼頭兄弟を怒らせたら川崎が割れる」

 

そう囁かれる中で、とりわけ狂信的な人気と実力を兼ね合わせていたのが、沙也加だった。

 

「男5人に襲われたが、鉄パイプで1人残らずボコボコにした」「タイマン相手の女の彼氏を呼び出し、制裁としてお互いの大便を食わせた」など、様々な伝説がまことしやかに語られていたが、斜め上の虚空を見つめる細い目と意思の強さを表す頬骨は、そのエピソードに不気味な真実性をもたらしていた。庚申塚が沙也加にそのことを尋ねると「いつの時代の話してんだよ」と睨むばかりで真相は藪の中だったが――。

 

リョウは、そんな沙也加を実姉のように心底慕っていた。学校が終わると真っ先に向かうのが、鬼頭兄弟の家だった。

 

「沙也加さん、これコンビニでパクってきたから食べて。今日のお土産だから」

 

沙也加によると、そう言ってリョウはガムと毛髪がこびり付いた床にスナック菓子を並べることが多かったという。庚申塚は、かつて沙也加に「リョウはどんな存在だったのか」と尋ねたことがある。今思えば、いかにもマスコミ特有の浅はかな質問だと思ったが、案の定、彼女は苛立った様子で「弱いじゃん、あいつ。だからこの家が必要だったんじゃないの」と言葉少なに答えた。

 

事件後、沙也加の後輩たちは殺到するマスコミに殺気立ち、リョウの告別式の様子をカメラに収めようと集まったカメラマンを羽交い締めにし、頭突きを繰り返した。だが、そんな彼らを諫(いさ)めるのも沙也加の役割であった。

 

一方、マスコミは、被害者加害者双方を深く知る人物として、つまり最上級の情報源として、沙也加のご機嫌をとることにしのぎを削っていた。もちろん、週刊誌記者である庚申塚も例外ではない。「ドン・キホーテに連れて行け」と言われれば、庚申塚は沙也加の傘下にいる10人の不良少年たちを引き連れ、巨大な買い物かごを転がしながら言われるがままジャージ、スウェット、マフラー、スニーカーなどを買ってやった。また、「煙草ほしい」と言われれば、コンビニに行き、1箱ではなく1カートンを購入し、彼らに手渡した。回転寿司にボーリング、カラオケに美容院と、求められるがまま接待攻勢を続ける日々。しまいには彼らの横暴は手のつけられないほどに膨張し、要求品はルイ・ヴィトンの財布、エルメスのブレスレット、カルティエの指輪といった具合に法外に高価なものに跳ね上がり、それはさながらストリートギャングのカツアゲという生易しいものを凌駕(りょうが)し、いわばヤクザの金銭要求そのものであった。そんな惨状をメディアは「カワサキ国」と揶揄した。その要求を呑むか、呑まざるか。メディアと彼らの騙し合い、もとい我慢比べのような日々が続く中、庚申塚は心の何処かで彼らに哀れさを感じていた。

 

一方で、庚申塚の携帯には日夜問わず、鍋倉編集長や神田編集次長からの〝ご要望〟が届けられた。

 

「今週は何か見出しになるトピックはあるのかよ。被害者の母か、加害者の父の独占告白くらいもぎ取ってこいよ」

 

庚申塚のような週刊誌記者は、ネタのインパクトと鮮度が勝負なのである。しかし、どんな事件でも締め切りは必ずやって来る。事件現場を這い回った末、発売日になると競合他社の週刊誌と見比べ、同僚記者たちと「今週は勝った」「いや、写真のインパクトでは負けた」と一喜一憂するのが常だが、どんな凶悪事件でも1ヵ月を越えれば読者は必ず飽きる。記者たちはこぞって現場を引き上げ、地元で作り上げた人間関係をリセットし、次の事件現場に向かうのである。

 

その年、庚申塚が現場から引き上げて間もなく、加害少年3人は横浜家裁送致後に逆送(※注1)され、横浜地検は殺人罪と傷害罪で龍太を、傷害致死罪で徳郎と慎太郎を起訴した。裁判を経て、彼らは懲役4~9年以上の実刑が確定し、事件は一応の区切りを得た。

 

だが、庚申塚の携帯にはその後も沙也加から時折思い出したかのように連絡が届いた。

 

「カネチ、今どこにいる? 早くメシ奢れよ」

 

リョウ、そして龍太たちを知る者にとって事件は何一つ終わっていない。そして、これからも一生涯続いていく。沙也加の荒っぽい言葉の投げかけは、そんな至極当たり前の事態を庚申塚に突きつける。そのたびに庚申塚の感情は、沙也加に操られた鵜飼の鵜のように舞い戻されるのだ。庚申塚は、彼らに感じた虚しさが自分自身にこそ当てはまることに今更ながら気付くのだった。

 

※注1 家庭裁判所が検察から送致された少年を調査した結果、刑事処分を科すことが相当であるとして検察に戻すこと
 

(続く)