イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

CONTENTS ─

夜枕の絵本 Season 5 フルフェイス ④

「またリョウの命日がやってくるんだよな」
 その日、銀柳街の回転寿司屋で沙也加は初めて自分から事件のことを口にした。
ファミリータイプのテーブルに座した沙也加はサーモンばかりを5皿注文し、丸っこい人差し指で1貫ずつ山葵(わさび)を丁寧に取り除く作業をしている。

 

「さび抜きにしたらいいじゃないか。言ってやろうか」

 

庚申塚がぶっきらぼうに言うと、沙也加は無表情でかぶりを振り、

 

「ダサいじゃん。ナメられるし」

 

と顔を真っ赤にして何度も咽(むせ)た。

 

「なぁ、カネチ。この話したっけ」

 

この日、庚申塚に〈久しぶりにメシを食わせろよ〉とLINEを送ってきたのは、沙也加のほうだった。庚申塚の記者としてのアンテナは沙也加がいよいよ本題に入ろうとしていることを察知したが、あえて気のない返事を返すことにした。

 

「恋愛相談か何かあるのかな」

 

「お前、死ねよ」

 

一呼吸起き、沙也加が言葉を紡ぐ。

 

「リョウが殺される1ヵ月前にさ、うちら龍太ん家(ち)に襲撃に行ったんだよな。もちろんダイチもいたし、8人くらいかな。その1週間前だったと思うけど、リョウが龍太に公園で殴られたって話があったじゃん。その〝返し〟っていうことで龍太をボコしに家に行ったの」

 

庚申塚は当時のことを思い出した。たしかに龍太は警察の調べに対し、

 

「先輩たちから慕われているリョウのことが腹立たしかった。なんであいつのせいで俺が狙われないといけないのかと頭にきた」

 

と供述し、刑事裁判でも犯行動機は未成熟な人格が引き起こした嫉妬心の暴発という文脈で語られていた。

 

沙也加はスマホを手に取り、ひび割れだらけの画面を庚申塚に差し出す。再生ボタンを押すと、森林に囲まれた神社が映し出された。カメラが賽銭箱に近づくと、電動ドリルを手にした少年たちが登場し、手慣れた様子で賽銭箱を解体していく。その中に詰まった小銭をズタ袋に詰める映像が延々と続く。一連の動画は無音だが、少年たちの表情からは無邪気な嬌声が聞こえるかのようだ。

 

沙也加が目を細めていう。

 

「見てわかるだろ。このあたりは神社が多いじゃん。だから、金がなくなると賽銭泥やる連中は多いわけさ。その頃さ、龍太のグループが結構やってて、うちらもムカついちゃって。なんで、あいつらだけ儲かってるんだって」

 

沙也加は「わさび、マジ辛い」と注文パネルを拳で殴ると、涙目になって言葉を続ける。

 

「あの日、うちらが龍太の家に行ったってのは別の理由があったんだよ」

 

庚申塚は一瞬で事態を理解した。沙也加は庚申塚の表情に安心したように姿勢を正すと腕を組んでいう。

 

「うちら、あいつの家に賽銭泥の分け前をくれって話を付けにいったんだよな。いきなり大人数で押しかけたから、あいつはビビって玄関にも出てこなかった。しかも、サツを呼びやがってさ。そうなったら、もう言い訳するしかないじゃんか」

 

庚申塚が首肯する。

 

「それでリョウの名前を――」

 

「うちが咄嗟にサツに言っちゃったんだよ。『後輩のリョウがこの家の馬鹿息子にぶん殴られて黙ってられねえから襲撃に来たんだよ』っって。こっちもテンパっちゃって」

 

「そうしたら警察は?」

 

「警察はそんな暇じゃねえ、ほどほどにしろって。サツはそのことを龍太に言ったみたい。当たり前だよね」

 

山葵の辛さが抜けている頃なのに、沙也加の目には異質の涙が浮かんでいた。

 

「だからさ、うちらが龍太の賽銭泥の金をパクリに行かなかったら、リョウは殺されてなかった」 

 

沙也加はリョウが殺されたことを自分自身のせいだと、人知れず思い悩んでいたのだ。

 

「だから、うちは何すればいいと思う」

 

沙也加の答えは見つかっているようだった。

 

「3年間、ずっと思ってたんだけど……カネチ、真面目な話していい?」

 

庚申塚は無言で頷き、次の言葉を促す。

 

「龍太のグループだって、もともと対立していたわけじゃないじゃん。うちの中学の後輩も多いし。ほとんど地元(かわさき)の後輩だよ。うちらのせいで……なんでこんなことになっちゃうんだよ」

 

沙也加は眉間を赤く染めながらいう。

 

「だからさ、うちが頑張って、せめて後輩にいい思いさせてやりたいんだよ。アルファードを買ってやってさ、みんなで旅行に行くことが今の夢かな。あんな事件があってからさ、そればかり考えるようになっちゃって」

 

沙也加は拳を震わせながら下を向く。

 

「あのさ――リョウにもアルファード、乗せてやりたかったな」

 

沙也加は突然机に突っ伏し、時折ウッウッと嗚咽を漏らす。庚申塚が感傷的な沙也加の姿を見たのは初めてだった。だが、この期に及んで庚申塚は思った。「これは記事になるのか」と。事件から約3年の歳月が経ち、とっくの昔に刑事裁判は終わっている。親族などの初告白ではなく、あくまで事件の真相を知る関係者の証言である。編集部に提案しても結果はボツだろう。だったら、俺はなぜ今ここで沙也加の話を親身になって聞いているのか。

 

「だからさ、お前もうちのこと金銭的に応援しろって。とことん貢げよ。うち、毎日工場で働いてるし、土建の元締めみたいな仕事も来てるけど、結局稼ぐしかないんだよ。当たり前だけど、弟も養っていかないといけないし」

 

庚申塚はいつもの調子に戻った沙也加にホッと胸を撫で下ろした。

 

「なぁ。今から新宿に行くから送れよ。土建の仕事の打ち合わせがあってさ」

 

四六時中「川崎命」の沙也加の口から「新宿」という言葉が出ることは初めてだった。午後4時過ぎ、庚申塚は自家用車のハリアーの助手席に沙也加を乗せた。沙也加はドアを締める際、「音立てちゃった。ごめん」としおらしく謝り、前を見据えた。

 

庚申塚は首都高を飛ばしながら沙也加に尋ねる。

 

「ところで、なんで俺にそれを話したの?」

 

沙也加は真っ赤な目を庚申塚に向けると、いつもの調子でいう。

 

「だって、カネチが一番馬鹿そうだから。一番馬鹿で、一番分かってくれそうだったから」

 

沙也加はそう言って泣き笑いの顔を浮かべた。山手通りから甲州街道を右折し、夕暮れ前の大きなビル群が眼前に広がると、沙也加は心なしか緊張を伴った声色で言葉を発した。

 

「カネチ、歌舞伎町のバッティングセンターのあたりでいいよ。適当に降ろして」

 

新宿区役所通りの緩やかな坂を上り、風鈴会館に差し掛かる。沙也加は行き交うホストと出勤前のキャバ嬢を横目で見やると「このあたりです」と今までとは打って変わって丁寧な口調でそう話した。

 

「カネチ、またな。ありがとう」

 

歌舞伎町が酔客に溢れ、卑猥に彩り始めるには刻が早いが、ホストクラブ「愛本店」方面に歩みを進める沙也加の背中は、いつもより小さく見えた。庚申塚はコインパーキングに車を停めると、密かに沙也加の背中を追った。

 

ホストビルを左右に見据え、ラブホ街を足早に進む。沙也加は一度も振り返ることなく旧コマ劇前の広場を突っ切った。手招きする露天商に目もくれず、五臓六腑を照らす西日を手のひらで払うような仕草をした。そして、ある雑居ビルの前で歩みを止めたのだ。

 

庚申塚は次の瞬間、流れ出た汗がシャツに二重三重の冷えた染みを作っているのを肌で感じた。口中が乾き、舌は炙った紙やすりのようにザラザラと熱を帯びていた。

 

(続く)