イントロダクション
目次
本編

INTRODUCTION ─

週刊誌の記者として事件現場を歩いてきました。
数多くの現場を経験しているうちに、自分はなぜ取材をしているのだろうという壁にぶち当たりました。
事件取材の意義について、新聞やテレビのお行儀のよい報道機関は「再犯・再発防止」と声高に叫ぶでしょう。
しかし、事件を報じることで、本当に犯罪を減らすことができるのでしょうか。それは取材者側の自分勝手な建前にすぎません。
私が取材する理由を問われたら、迷うことなくこう答えます。
〝人に対する興味(他人への好奇心)〟だと。人はどんなに綺麗に着飾っていようと、時に愚かで、時に醜い。だからこそ、愛おしくもあるのです。
事件記者の仕事とは、そうした人間たちの欲望を丸裸にして受け止める仕事です。
取材をするたびに思うことは「あの瞬間、この人にもし守るべき人がいれば……」「誰かにこんな言葉を掛けられていたら……」ということでした。
こんな些細なことで、もしかしたらその事件は起こらなかったのかもしれません。逆に言えば、成り行きによって、誰でも犯罪者になりうるということです。
そこから私は「人の人生を左右するのは、案外、日常生活の中の何気ないピロートークだったりするのかもしれない」ということに思い至りました。
事件前、容疑者はベッドで何を語ったのか――。
ところが、そうした密室の会話は刑事裁判ですら、明らかになることはありません。その余白を埋めるのが、小説の役割なのかもしれません。
「夜枕物語」は、実際の事件をヒントにしたフィクションです。
これから読者の皆さまは、事件当事者の人生を辿ります。
「こんな人がいるんだ」
「こんな人生があるんだ」
たくさんの事件の〝真相〟を知ることによって、それぞれの物語の登場人物に愛おしさを覚えてもらえたら、明日からの日常生活でもちょっとだけ他人に優しくなれるかもしれません。

CONTENTS ─

夜枕の絵本 Season 5 フルフェイス ⑥

光の雫が天空に向かって勢い良く舞い上がると、その一粒一粒が煌めいて、星の絨毯が夜空一面に膜を張った。揺らめく柳桜は時間をかけて、ゆっくりと多摩川の水面に落ちて溶けてゆく。庚申塚が振り返って頷くと、その合図を待っていたかのように沙也加が口を開いた。

 

「みんな手を合わせようぜ」

 

その言葉を合図にリョウの追悼の儀式が始まった。発起人の沙也加は夏祭りが好きだったリョウを想い、1年前から地元の花火業者に打ち上げ花火の手配を依頼していた。沙也加、弟のダイチ、そして十数人の少年たちが多摩川の河川敷に立ち、一列に並ぶ。沙也加が咳払いをして「それでは黙禱」と低い声を発すると、彼らの歓声はピタッと止み、真冬の空に轟いた破裂音の残滓を小川のせせらぎのような多摩川の川音が柔らかく包んだ。

 

「黙禱、終わり」

 

沙也加が静寂を断ち切る。

 

「みんな、あれの準備しろよ」

 

沙也加の一声により、幾分緊張した顔つきの少年たちが各々のリュックから取り出したのはビニールカップだった。蓋の部分がサランラップで密封され、何重にも輪ゴムが巻き付けられている。カップの中で、一羽の折り鶴が窮屈そうに羽を折り曲げていた。

 

「西ノ島って行ったことないけどさ、みんなでいつか行ってみたいよな」と沙也加。

 

その懸念は店のシステムにより直ちに解消された。入店後、男性客は各々の個室に移動し、マジックミラーを通じて〝のぞき〟を行うという。女性側から男性客は見えないのだ。また、次々に登場する女たちの中から気に入った娘を指名して個室に誘い、3千円で手コキ、5千円で口淫のオプションを受けることもできるという。庚申塚は、沙也加が性的な接客をしている姿をまるで想像できなかった。彼女はいつものように「きしょいんだよ」と言いながら男に身を寄せるのだろうか。

 

不良少年たちが口々にいう。

 

「この鶴、無事届くのかな。いや、届くっしょ」

 

「多摩川から西ノ島まで何日かかるかな」

 

「リョウの命日、2週間後だろ。ちょうど命日には辿り着いていればいいよな」

 

各々が手にしたビニールカップを水面にそっと置く。折り鶴はゆっくりと時間をかけ、彼らの手元から離れると風に乗り、ひとつふたつと小波を越えていった。

 

「折り鶴と祈り鶴って、漢字で書くと似てるよな」

 

そのうちの誰かが言う。

 

「沙也加さん、西ノ島に連れてってよ」

 

沙也加に寄り添う彼らは、誰もが曇りのない艷やかな顔つきをしていた。今まで傍観者に徹していた庚申塚は彼らの見届け人になったような錯覚を覚え、話に割って入った。

 

「アルファードに乗って、みんなで行けばいいじゃん」

 

すぐに迂闊なことを言ったことに気付いた。河川敷の高台に一台のワンボックスカーが停まっていたのだ。シルバーの車体の前方後方は傷だらけで、見るからに中古車である。

 

「カネチ、お前。何見てんだよ」

 

沙也加が急かすように言う。

 

「この車――」

 

「あたしが買ったんだよ。まぁ、本当はアルファードだって買えたんだけど、とりあえずな」

 

庚申塚は胸を張る沙也加の照れ笑いを見て、胸が熱くなった。あれから半年間、沙也加は人知れず歌舞伎町に骨を埋め、時折、庚申塚に回転寿司のサーモンを強請(ねだ)るくらいで贅沢はしていないはずだ。庚申塚はその苦労を誰よりも知っていた。

 

庚申塚が放つ湿っぽい空気を感じたのか、ダイチが割って入る。

 

「沙也加、いつアルファード買ってくれんだよ。あんなダサい車、どう考えても恥ずかしいべ。こいつさぁ……」

 

そして、さらに沙也加を指差していう。

 

「お前、売春婦やってるんだもんな。だったら、アルファードくらい買えよな」

 

庚申塚は面食らった。沙也加は一瞬口を尖らせたが、すぐに耳を赤らめ、「やってねえし」と小さく答えた。それでもダイチは容赦しない。

 

「やってるって先輩が言ってたし。歌舞伎町のヤバい店で見かけたって言ってたろ? 嘘つくなよ」

 

そのとき、庚申塚の目は土手の上に佇む部外者の姿を捉えた。庚申塚の視線の先を追ったダイチが同じ方向に目を向ける。

 

「あ、あいつ夏美(なつみ)じゃん。リョウってさ、あいつのことが好きだったんだよな。なんで夏美がいるんだよ」

 

黒のニーハイブーツから長く伸びた脚。ピンクファーのデニムブルゾンを羽織り、アッシュグレーのロングヘアを靡かせた少女は、この場にいる誰よりも大人びて見えた。ダイチの同級生・高城(たかしろ)夏美を前にしたダイチは、幾分舞い上がっているようだった。

 

「あいつ、昔は地味キャラだったんだけどな……。完全にキャバ嬢じゃんか」

 

庚申塚は図らずも話題が変わったことに安堵し、沙也加の表情を盗み見た。だが、彼女は行き場のない怒りをぶつけるかのように夏美に対し、刺すような眼差しを送っていた。

 

「おい、お前さぁ。言いたいことあったら来いよ!」

 

沙也加が夏美に言葉を投げかける。まわりを囲んだ少年たちは沙也加のスイッチに敏感に反応し、忽(たちま)ち戦闘モードに入る。庚申塚はようやく思い出した。事件前、龍太からリンチを受けたリョウが、唯一弱音を吐いていた相手が夏美だった。

 

「俺、龍太先輩に殺されるかもしれない――」

 

当時、庚申塚が不良少年たちに取材したところによると、ダイチが言うようにリョウは夏美に思いを寄せていたという。夏美には連日メディアが群がった。彼女は黒髪で顔全体を隠し、俯きながら必要最低限のことしか話そうとしなかった。あれから3年の歳月を誰とどう過ごせば今の姿になるのだろうか、と庚申塚は狼狽した。

 

「お前、そんな上から見下ろして、調子乗ってんべな」

 

沙也加が口火を切ったが、夏美は怯んだ様子を見せない。それどころか、長身の夏美は背筋を伸ばし、沙也加に向かっていく。

 

「沙也加さん。賽銭泥棒の話、あたしだって知ってるよ」

 

夏美と向かい合うと、沙也加の小柄さは余計目立った。

 

「だから、どうしたんだよ」と沙也加。

 

「沙也加さん。今日は罪滅ぼしですか?」

 

「罪滅ぼしで何が悪いんだ。お前、後輩だろ。ナメてんべ」

 

庚申塚は息を呑んだ。そして、もう一発花火があがれば良いと思った。

 

「沙也加さん。歌舞伎町で噂になってるよ」

 

「はぁ? 何それ」

 

「あんたに歌舞伎町は似合わないよ。川崎から出ないほうがいい」

 

何のことか分からない少年たちは唖然とその様子を眺めるばかりだった。庚申塚とダイチは互いに顔を見合わせ、押し黙った。沙也加は夏美を睨みつけたまま、地面に向かって深い息を何度も吐き出していた。

 

(続く)