2019.06.11

老舗文具ブランドとのコラボ秘話

ノートと私の物語。 第4話

profile
鈴木 セリーナ

大分県出身
幼少期から英才教育を受けお嬢様として育つ。 16歳の頃、親への反発心からドロップアウト。
年齢を隠して、地元クラブのホステスとなる。
20歳の頃、「銀座のクラブのママになりたい」と夢見て上京。
当時、テレビなどで有名だった銀座高級クラブ「F」で働く。
相手の懐に飛び込むトークと物怖じしない性格が受け、たちまち人気ホステスとなる。
その後、銀座老舗クラブ「江川」に引き抜かれ、売上ナンバーワンに。
銀座ホステスを辞めてからは、主に文房具を扱う企画会社とタレントキャスティング会社を起業。
ビジネスの世界でも成功を収める。
マルチクリエイティブプロデューサー。
経済界からマスコミ業界、政界まで、様々な業界のトップクラスと交友が深いことでも知られる。
現在は、出身地である大分の街おこしにも携わっている。

 

 

突然ですが、私は出かけた先で、お土産ショップに寄るのが大好きです。今回お話しさせていただくノートは、そんな私の「お土産好き」が高じて誕生したものです――。
 

 

遡ること7年前、私にはフジテレビに勤めている仲の良い友人がいました。友人と会う時は大抵フジテレビの社屋内だったので、例によって私はお土産ショップにも毎度寄っていたのです。そして何気なく立ち寄った日に目にしたのが、テレビ局の作っているノートでした。形状はリング式で、本文用紙には局のロゴが薄く入っている、A5サイズのいわゆる“普通のノート”。
そのままでももちろん使えるとは思いましたが、それを見た瞬間、閃いたのは「長年愛されているツバメノートを使って、もっといいノートにしたい」ということでした。早速友人にグッズ制作担当の部署を紹介してもらい、「新しくフジテレビのノートを作らせて欲しい」という旨を連絡することにしました。
そして無事アポイントをとることに成功。イメージのラフを持って商談に向かったのが始まりです。

 

今回私が考えていたのは通常のノートサイズのB5やA5よりももっと小さい、正方形のノート。というのも、手帳の「QUO VADIS」に収まるサイズがいいなと思っていたからです。ビジネスマンも学生も、ノートをとる時は大抵手帳と一緒に持ち歩くもの。当時「QUO VADIS」が流行していたこともあり、これに挟めたら利便性が高まるだろうなと考えたのです。
ただ、今までの規格でなかなかないサイズだったことと、表紙ページにロゴを入れるだけというシンプルなデザイン案に、当初フジテレビの担当者は難色を示していました。
けれど「絶対にシンプルな方が売れるから」と押し通し、納得してもらった結果、作ったノートの売り上げは上々。そして今度はそのノートを持って他局を営業して回り、TBS、テレビ朝日と続けざまに採用が決定。特にTBSに関しては最初に作った3000冊がすぐに完売してしまい、今ではもう手に入れることができません。

 

 

 

 

その1年後、フジテレビから「再び一緒にノートを作りたい」と連絡をもらったのは、映画『真夏の方程式』(テレビドラマ『ガリレオ』の劇場版第2作)を制作するタイミングのことでした。というのも、作者の意向で「主人公が使っているノートのイメージはツバメノートだから、劇中でもぜひそれを使用したい」とのことだったのです。
そしてせっかく作るならグッズとして販売しよう、と局内で話がまとまり、ツバメノートとつながりのある私にオファーが来た、というわけです。早速打ち合わせを重ね、先方の希望でパターンを作成し、納品する運びとなりました。

 

私の飛び込み営業から始まったフジテレビとの付き合いは、その後、長年にわたり続くことになります。『真夏の方程式』の後、2015年と2016年には映画『暗殺教室』『暗殺教室―卒業編―』公開に合わせて再びノートを作成しました。これは元々私が原作のファンだったことから思いついたのですが、『真夏の方程式』の時と同様、作中で主人公・殺せんせーが使っているノートも、なんとツバメノートだったのです。
そして今度は私の方から原作の版権元である集英社に連絡をとり、営業をかけ、『暗殺教室』製作委員会のメンバーで、商品化を担当していたフジテレビと再びタッグを組むことになった、というわけです。
このノートは映画公開に合わせたということもあって何度も重版がかかり、非常に大きな反響を呼んだ、私にとっても思い出深い一冊です。

 

きっかけは、いつものお土産ショップ巡りから――。こうして、多くの人気作者からも愛されているツバメノートは、形を変えて幅広い層の人に使われていくこととなりました。

 

(続)
 

 

 

取材・文/まちおこし

撮影/八坂悠司