2019.05.28

SPECIAL TALKS / Vol.3

Vo Vo Tau解散の真相

元銀座No.1ホステスで、現在は実業家として様々な事業を展開している鈴木セリーナと、音楽プロデューサーの須賀満。対談第三弾では、華々しいデビューを飾ったVo Vo Tauが、わずか2年で活動に幕を下ろした理由に迫ります。アーティストから音楽プロデューサーへと転身を遂げた須賀さんが、新たに目指すものとは?

文=島野美穂(清談社)
写真=関大介(世紀工房)

PROFILE

鈴木セリーナ
大分県出身。幼少期から英才教育を受けお嬢様として育つ。16歳の頃、親への反発心からドロップアウト。年齢を隠して、地元クラブのホステスとなる。20歳の頃、「銀座のクラブのママになりたい」と夢見て上京。当時、テレビで有名だった銀座高級クラブ「F」で働く。相手の懐に飛び込むトークと物怖じしない性格が受け、たちまち人気ホステスとなる。その後、銀座老舗クラブ「江川」に引き抜かれ、売上ナンバーワンに。銀座ホステスを辞めてからは、主に文房具を扱う企画会社とタレントのキャスティング会社を起業。マルチクリエイティブプロデューサーとして、ビジネスの世界でも成功を収める。実業界から政界、マスコミ業界まで、様々な業界のトップクラスと親交が深いことでも知られる。
須賀 満
2003年10月、アルバム「Vo Vo Tau 01hz」でメジャーデビューを果たす。1stシングルカット「裸~nude~」の大ヒットにより(20万枚をセールスしオリコン総合最高順位8位)一躍脚光を浴びる。日本では稀なR&B生バンドとして音楽シーンに新たなジャンルを示し、シングル4枚、アルバム3枚をリリースした。2006年3月、惜しまれながらもVo Vo Tauを解散。 その後、音楽プロデューサーとしての活動を開始。様々なアーティストへの楽曲制作(AI、ケツメイシ、加藤ミリヤ、Juliet、超新星、こぶしファクトリー、他多数)、CM音楽制作(ブルボン、lilidia※Web CM、rienda※Web CM、他多数)、映画音楽制作等にも携わる。 また最近では、新人アーティストの発掘からメジャーデビューへと、新人アーティストの育成(丸本莉子、The Super Ball)にも力を入れている。

SPECIAL TALKS / Vol.3

Vo Vo Tau解散の真相

前回は、Vo Vo Tau(ボボタウ)としてデビューするまでのお話をお聞きしました。約2年の活動期間の後、バンドは解散しますが、その原因は何だったのでしょうか?

メンバー間で何かあったんですか? 芸能界で売れて、周囲の環境がガラッと変わったとき、まず変化が見られるのは、大抵女の子ですよね。びっくりするくらい性格が変わります

おっしゃる通り、きっかけはそうでしたね(笑)。デビューしてすぐに売れたことで、メンバーの関係性は、少しずつ変わっていきました。

メンバー間で揉め事が起きると、リーダーの須賀さんに、しわ寄せがいってしまいそうですが……。

リーダーといっても、そんな偉い感じではなかったです。まぁ、調整役ではありましたけど。

須賀さんとお仕事させていただいて思うのが、トラブル対応にとても慣れていらっしゃるなということです。アーティストとして活動していた当時から、ビジネスマンとしてのスキルも一緒に磨いていらっしゃったんじゃないかなと思うのですが、いかがですか?

たしかに、デビュー前のマネージャーがいない頃は、ライブのブッキングなどは僕がしていたので、交渉スキルや、コミュニケーションスキルは自然と磨かれていたかもしれません。

メンバーの関係が崩れてきたとき、どのように軌道修正を図ったのでしょうか。

正直言うと、最後のほうは、かなり溝ができていたので、修正する余地もなかったんです。もちろん、表面上は普通に活動していましたけど。

実際の仲はガタガタだけど、仕事はちゃんとするというその空気、すごくわかります。私と重本ことりも、長いこと仕事を一緒にしていますが、衝突したことが何度かありました。新大阪駅で取っ組み合いの喧嘩をしたこともあります。
そのとき、タイミング悪く、知り合いのヘアメイクさんが通りかかって、声を掛けられたわけです。するとその瞬間、摑み合ってた手を、お互いパっと離して「どうも、こんにちはー!」みたいな(笑)。何事もなかったかのように振る舞いましたね。

それもまたすごい話ですね(笑)。
須賀さんは、最終的にはメンバーみんなで話し合って解散ということになったんですか?

そうですね。今後どうしていくか話し合ったとき、僕はビジネスとしてなら、割り切って活動できると伝えました。残る3人のうち、2人は続けたい、だけど、もう1人は続けられないということでしたので、解散に至りました。

4人中、3人は続けると言ったのにもかかわらず、解散することになってしまったんですね。

1人でも続けられないと思った以上、もう解散しかなかったんです。しかも、そう言ったのが作曲の担当だったので、なおさら続けるという選択肢はありませんでした。

それでメジャーデビューから2年で幕を下ろしたんですね。


はい。それともう一つ、すごくお世話になっていたレコード会社の方が、亡くなってしまったのも、大きな出来事でした。メンバー同士で揉めたときに、「まぁまぁ」と言って、とりなしてくれる方だったんですよ。いってみれば、Vo Vo Tauの恩人です。その方を失ってしまったことも、活動を終える原因の一つだったかもしれません。


 

解散して、その後、音楽プロデューサーの道に進まれたんですよね。



もちろん、解散後もドラマーとして活動する選択肢もありました。ただ、ドラム演奏だけを生業にしてきた、いわゆるプロのドラマーって、当たり前ですけど、桁違いに上手いんですよ。それを目の当たりにしたとき、自分がドラムで食べていくのは、相当難しいのかな、と。



厳しい世界なんですね。


そうですね。それで、じゃあ何をしようかと考えたとき、思い浮かんだのが裏方の仕事でした。Vo Vo Tauでリーダーをしていた頃、裏方の仕事も楽しそうだなと思っていたんです。そんなとき、Vo Vo TauでギターをやっていたRyo-thingと僕とで、アルバムを作ってみないかというお話をレコード会社からいただきました。それが音楽プロデューサーとしての初めての仕事ですね。2005年くらいにはじまり、今に至ります。






一方、セリーナさんは、2005年頃は何をされていたんですか?


21歳のときですね。私は再婚していました。



(笑)。



須賀さんがデビューしてお忙しかったとき、私は出産と離婚をして、その後、須賀さんが音楽プロデューサーとして再スタートしたとき、私も再婚して新生活がスタートしていたという感じですね



セリーナさんも、激動の人生を歩まれていたんですね。


波乱万丈でしたね。



お二人は普段、プライベートのお話はしないんですか?


まったくしないです。今色んなことを初めて聞いて、僕が一番驚いてます(笑)。



そうですよね(笑)。
ところで、須賀さんは、アーティストからプロデューサーに転向したときに、何か目標はあったんですか?



さきほど少し話しましたが、亡くなられた恩人が僕らにしてくれたような仕事をしたいんです。若かった僕らに、とても親身になって支えてくれたあの方のように、今度は僕が、若い子たちのサポートをできればと考えています。







(第4回に続く)