メディアの裏側
高橋 優秀な週刊誌記者が書いた記事は、贅沢な紙面構成になっているんですよ。例えば、100のエピソードを知っているけど、美味しい部分の10のエピソードだけで凝縮した記事を作っている。その背後には10倍以上の書いていない真実がある。逆に、仕事のできない週刊誌記者は10のことを100に膨らませて書いてしまう。
そもそも、週刊誌って何のためにあるんですか?
今は誰でも自分発信ができる時代ですよね。芸能人は綺羅びやかな日常をインスタグラムで綴っていますし、政治家だってフェイスブックで社会貢献について声高に語っています。「夜枕の絵本」にも書きましたけど、人間は誰しも完璧じゃなくて、時に愚かで時に醜いわけじゃないですか。それも含めて人間ですし。「この人は立派だけど、こういう一面もあるよね」という裏の顔を提示するのが週刊誌の存在意義じゃないですかね。もっと本音ベースで語ろうよって。
「Serenade Times」のようなものですね(笑)。
その通り(笑)。
写真週刊誌の存在意義は何ですか?
芸能人が買い物袋をぶら下げているだけの写真をパシャって撮って掲載していますよね。何の公益性も公共性もないわけですよ。でも、芸能人の日常を知りたいという読者は一定数いるだろうし、その欲望に応えているということですかね。
週刊誌記者のイメージとしては「人の不幸は蜜の味」というか、人を不幸に陥れて「やってやったぞ!」みたいなのはあるんですか?
私は不思議とないんですよ。「貶めてやろう」と思ったことがないので「やってやったぞ」と思うこともないんですよ。感情としてあるのは「こんな一面があるんだ」という驚きですね。政治家だろうが、芸能人だろうが、情けない部分っていうのは1つや2つあるでしょう。その肩書を取った人間模様が見てみたいというのはありますね。
誰も彼も所詮は人だからということですよね。私も銀座ホステスを卒業して、今までいろいろな会社経営者と物怖じせずに話してこられたのも「所詮は人だから」という意識が根底にあるからなんです。肩書を省いて人を見るようにしています。
「人の不幸がそんなに嬉しいんですか」と言われるんですが、そんなこと考えたこともないですね。週刊誌記者は別に相手を貶めたり、叩こうと思っているわけじゃないんですよ。結構勘違いしている人が多いと思うんですが、ただ単に裏の顔を世間に提示したいと思っているだけ。「週刊誌は悪口ばっかり書いている」という人って、実は週刊誌をしっかり読んだことのない人なんです。
批判しているのは、記事を読んでいる読者のほうなんですよね。読者が「この記事に書いてある芸能人はけしからんわ!」と言っているだけであって。先日、「トリニータイソウ」で批判を浴びたとき、公式声明を出したんです。そうしたら「長ったらしくて言い訳がましい」とネット上で批判が殺到しました。そういう人って、だいたい読んでくれていないんですよ。「しっかり読んでください」って言いたいですね。
メディアリテラシーというより、国語力の問題なのかな(笑)。
〝週刊誌に書かれること=怖いこと〟と思っている人が多いけど、本当に怖いことは、取材した本人の声を正しく拾う能力のない記者が書き、読解力のない人に届けてしまうこと。そして、それが情報の相場感になることだと思うんですよ。
ホントそうですね。「ニュースの読み方講座」、是非やりましょう!
(完)