本日は、テレビプロデューサーの神原さんと『3ミニッツ』で動画制作などを担当していらっしゃるディレクターの比嘉さんを招いての座談会です。なんでも、お二人には驚きの共通点があるとか。
神原さんは、『とんねるずのみなさんのおかげでした』という番組から誕生した音楽ユニット「野猿」元メンバーです。
そして、比嘉さんもまた、2019年7月に、歌手デビューを果たすことが決定しました。
比嘉さんが歌手デビュー……というのは、どういうことでしょうか?
ファッション動画マガジン『MINE』で、現在『おじさん取扱説明書』の動画を配信しています。その販促用のCMを比嘉さんに制作してもらったのですが、提案用のナレーションが、オネエっぽい比嘉さんの声で…。「ナレーションはプロで撮り直す」と言われたのですが、「このまま、比嘉さんの声でいきましょう!」と即決しました。なぜなら、比嘉さんのその声が、大変素晴らしかったんです!
せっかく作ったのだから、このCMを使ってもっと何かできないかと考えたとき、「CMに使った15秒の曲をフルコーラスにして、比嘉さんに歌ってもらおう」と閃いたんです。それが、比嘉さん歌手デビューの経緯ですね。
つまり、お二人とも会社員でありながら、いきなり歌手デビューすることになったわけですね。普通じゃ考えられない共通点ですね(笑)
そうなんです。なので、この連載では、会社員なのに歌手デビューした二人、という点に着目して、お話できたらと思っています。

伝説のアーティスト「野猿」結成秘話
デビューしたときの心境はいかがでしたか? スタッフが番組の企画でデビューするなんて、ハードルが高いことのように思いますが…。
実は、そんなにハードルは高くないんですよ。なぜなら、当時のフジテレビでは、スタッフがテレビに出るのは、当たり前だったから。その昔、『オレたちひょうきん族』という番組から、“ひょうきんディレクターズ”というユニットが誕生したのですが、これがもう、すごい人気だったんです。レコードデビューもしてました。
フジテレビにそういう土壌があったから、僕らが前に出ること自体にも抵抗はなかったですね。
なので、番組内のコントにエキストラとして出演して、水に落とされたりとか普通にありました。
デビューの経緯はどういったものだったんですか?
『とんねるず~』の、『ほんとのうたばん』というコーナーで、KinKi Kidsのパロディをするという企画があったんです。そのとき、とんねるずのバックダンサーとして踊ったのが、カメラマンや大道具などのスタッフたち。
それをとんねるずや秋元康さんが面白がって、avexの松浦勝人さん(当時、専務)に電話して、「デビューさせてくれないか」と直談判したんです。それでデビューしたのが「野猿」です。
ものすごいスピード感ですね。
そんな風にして始まったんだけど、活動は本格的でした。他局の番組にも出させてもらったり、ミュージックビデオを撮ったり、忙しかったですね。
すごい人気でしたよね。
そうそう、ミュージックビデオを撮影するから、お前、恵比寿のヘアサロンに行ってこいと言われて、行ったんですよ。行けば勝手にうまいことやってくれるからって。そしたら、頭の上を真っ白にされて、撮影では緑にされちゃって。なんだこれはって(笑)。
神原さんデビュー作、『Get down(野猿)』はこちら
実生活でも、かなり目立ちそうですね。神原さんは、どのくらい活動されていたんですか?
「野猿」が『Get down』という曲でデビューして、オリコン初登場10位になったんですね。それではじめて、スタジオにお客さんを入れて収録するという日に、僕はクビになりました(笑)。
それはまた、どうしてですか?
その日、メンバーには内緒で、お客さんによる投票が行われてたんです。一番人気のないやつがクビになりますと、いきなり言われて。そこで最下位になった僕が「野猿」を去りました。お客さん350人中、4人しか投票してくれなかったんですよ。
え、その収録のために、神原さんも練習してたんですよね?
それはもう、バリバリ練習してました。振り付けはなんと、TRFのSAMさん。だから、東方神起は僕の弟弟子なんですよ(笑)。
ETSUさんと、CHIHARUさんも一緒になっての厳しいレッスンを受けながら、必死に踊ってました。仕事の合間に、みんなでリハーサル室に集まってね。
でも、楽しかったですよ。ディレクターをはじめとするスタッフは、普段、カメラ側からしか見ることができません。でも「野猿」として活動することで、演者側から見る景色というものを知りました。
たとえ自分がトークをしていないときでも、カメラが回っている限り、いつ抜かれるかわからない。だから出演者は一瞬たりとも気を抜いちゃいけないんです。
実際に自分がカメラの前に立つと本当に難しいですよね。私はある番組の生放送に出たとき、「ワイプで抜かれた顔が事故ってる」とマネージャーに注意されたことがあります(笑)。私、テレビに出るのが苦手なので、ものすごい嫌そうな顔してるのを抜かれちゃって……。
そうそう。僕もその難しさを自分が実感したからこそ、今出演者に対して言うことができる。自分のキャリアに繋がったんですよね。だから、比嘉くんもきっと…何かあるのかな!?

そもそも神原さんは、なぜテレビマンという仕事を選んだんですか?
“後世に残るものをつくる”仕事がしたいと思っていたんです。色々選択肢はあったのですが、学生の頃に演劇をやっていたのでドラマを作りたいと思い、テレビ局に決めました。ありがたいことにフジテレビから内定をいただき、さぁ、ドラマを作るぞ! と、意気込んでいたのですが、蓋を開けてみると、配属されたのはバラエティー。
バラエティーは、キツい・汚いと言われている部署で、大変なことになったぞと思ったのですが、やってみるとこれが楽しかったんですよ。
どんなところが楽しかったんですか?
バラエティーは、基本的になんでもアリなんです。特に『とんねるず~』は、総合バラエティー番組。コントも、歌も、ライブイベントもなんでもやりました。僕はその後、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』という番組を作ったけど、これもクイズ番組なのに、歌やライブや、ドラマまでありました。『とんねるず~』での経験が生かされましたね。
私はテレビを見ないので、イメージでしかないのですが、フジテレビは笑いに対して、すごくストイックな局という印象があります。
一方、日本テレビは、その真逆で、人間ドラマや感動をテーマにしている印象です。
『24時間テレビ』のイメージが強いのかもしれません。でも私、『24時間テレビ』では、どうにも感動できないんです。
どうしてですか?
だって、生きることって、ものすごく厳しいんですよ。サバイブなんです! 『24時間テレビ』の中で描かれる“困難”とか“苦しみ”より、もっと大変な人が世界にはいると思うんです。
たしかに、そういう考え方もあるかもしれません。
なんとなくなんですけど、フジテレビは、そういうのがわかった上でふざけているというか。どうせだったら、楽しいほうがいいよね! という風に言ってる気がします。
『27時間テレビ』が、もともとそういうコンセプトで始まった番組です。あれは、『24時間テレビ』のパロディですから。セリーナさんのおっしゃる通り、感動ではなく、笑いに振り切ろうというのが番組の趣旨でした。
プロジェクトの方向性を決めるには、一人の強い意志が不可欠
『27時間テレビ』というと、僕の記憶に強く残る出来事があって…。でもこれ言っていいのかな(笑)。
ぜひ、お願いします!
『クイズ!ヘキサゴンⅡ』で『27時間テレビ』をやったときの話です。深夜のコーナーで、僕、例のごとくプールに落とされたんですよ。
それで、局内でシャワーを浴びて、よし行くぞと次のスタジオに移動していたとき、別の部署のスタッフが「『27時間テレビ』なんて、ぜんぜん面白くないよな」というような悪口を言ってるのをたまたま聞いてしまったんです。

それで、どうしたんですか?
30分くらい、その場で大説教ですよ(笑)。生放送やってるみんなは、僕がそんなことになってるとは知らないから「プロデューサーの神原さんが帰ってこない。どこかで死んでるんじゃないか?」なんて話してたらしいです。
神原さんて、すごく熱い人ですよね。みんなが一生懸命やっていることに、茶々を入れられるのが許せないという人。
過去にも、『アイドリング!!!』のイベントで、ファンに一喝したことが話題になっていましたよね。
2015年3月に行われた、関西テレビ主催の『Happy Jam in Osaka』というイベントのことですね。
そのイベントに、僕がプロデュースしていた『アイドリング!!!』というグループが出演したんです。そのときすでに、グループが10月をもって解散することが発表されていたので、残された活動期間の中での、大事なステージでした。
そうした中で、日頃から『アイドリング!!!』の一部のファンが、ライブ中に執拗にジャンプすることが問題視されていました。周りのお客様の迷惑になるから止めてほしいと、再三お願いしていたのですが、あまり効果はなく…。なので、このイベントの前に、 “過度なジャンプをした場合は、曲を止めてパフォーマンスを中止する”と、SNSを通じてお願いしていたんです。
ところが、ライブが始まった途端に、ジャンプしまくるという事態に陥り、音楽を止めて、僕が客前に出て行ってファン相手に抗議した、というのが、騒動の流れです。
実際のシーンはこちら
実際の動画を拝見しましたが、ファンに対して一歩も引かない姿勢で、すごい迫力でしたね。「解散するから、跳んでいいのか?」という神原さんの言葉が印象的でした。
解散するから何してもいい、なんてことはありえません。メンバーに、最後まで活動をまっとうさせてあげたかったし、応援してくれるファンの方々にも思い出に残るステージを見せてあげたかった。そのために自分にできることを全力でやりたかった。ただそれだけなんです。
すごいエピソードですね! でも、ひとつのプロジェクトを成功させるためには、そうやって作り手の強い気持ちを堂々と表に出して物事を進めていく人が絶対に必要です。たとえファンであろうと、譲ってはいけない場面があると思うんです。
そうですね。誰かが「これだ!」と方向性を決めて引っ張らないと、物事はうまくいかないですから。
神原さんのその思いにすごく共感します。強い愛がないと企画は成功しません。仕事と割り切って粛々と進めるのも大事なことかもしれませんが、やっぱり、魂がこもってないと、本当にいいものは作れないですから。私もものを作るときは、必ず愛をもって取り組みます。企画だったり、ものだったり、音楽だったり、良いものをつくるためには、そこに関わるすべての人が自分のこととして関わらないと良いものはできません。他人事であってはいけないんです。
ちなみに、この件には、イベント終了後に、各所に謝罪して回ったという後日談があります(笑)。自分主催のイベントならともかく、関テレ主催のイベントだったので、色々な方にご迷惑をかけてしまいました。そこだけは深く反省しています。
(第2回に続く)
