今回は、比嘉さんのこれまでの歩みについてお聞きしたいです。
僕が大学1年生のとき、父親がお金を持って、蒸発してしまったんです。大学って、学費がバカにならないじゃないですか。もう払い続けるのは無理だということで、退学したんです。
中央大学です。
意外な共通点が見つかりましたね(笑)。
それで、大学を辞めてNSC(吉本総合芸能学院)に入りました。
吉本興業が運営する、お笑い芸人養成学校ですよね?
そうです。僕、ダウンタウンさんがすごく好きだったので、お笑いの道に行こうと決心したんです。NSCに入ってから、4年くらいはまじめにお笑いをやっていました。
9期生です。ハリセンボンと同期でした。「リアル」というコンビでやっていたんですが、全然ダメでしたね。NSCも卒業できるかどうか、ギリギリのラインにいました。最終的に、「1ヵ月間、毎日掃除すれば許してやる」と講師に言われて、なんとか卒業できたくらいです。
月謝とってるのに掃除もさせるって、おかしいですよね。
続けていても芽が出そうにないと思い、お笑いの道は断念しました。
でも、お笑いを分析し、ネタを披露してまた修正して、とやっていくうちに、企画力が身に付きました。
それを活かして何かできないかと思ったとき、CMプランナーの仕事に興味を持ちました。それで今度は、CMプランナー養成学校に入ったんです。
もう一つ興味のあった、ウエディングプランナーの仕事をしつつ、2年間、映像の勉強と仕事を続けました。
ところが、学校を卒業したはいいものの、プランナーの仕事は募集人数が少なくて、全然就職できずに、路頭に迷います。
でも、何かを表現したい気持ちは強くあったので、自分だからできる広告をつくるつもりで、ボリビアに行くことにしたんです。
比嘉さんはボリビア生まれなんですよね。
はい。ボリビア生まれで、8歳で日本に来るまで暮らしていました。
ボリビアは、路上生活者が多く、体の不自由な人が台車に乗って物を売るという光景も珍しくありません。そんなボリビアの障害者支援施設でお手伝いしながら、施設の方や路上で生活する方を写真に収めました。
そして日本に帰ってから、写真展を開催し、得た収益をボリビアの施設に送りました。
写真展を開催するだけでなく、ボリビアの施設にお金を送ることにしたのは、どういう目的からだったのでしょうか。
CMプランナーの学校に通っていたとき、ある先生がおっしゃった『広告とは、経済活動と表現活動の2つが重なってできている』という言葉にすごく共感したんです。
それで、僕なりの経済活動と表現活動をしようという思いから、写真展の企画は生まれました。
また、この経験によって、人のエネルギーを写真に残す楽しさを知ることもできました。
CMプランナーから、アーティストに!
その後、ウエディング業界で映像の仕事に就いたあと、今度は企業からオファーを受けて映像を作る仕事をしていました。そんなとき、『3ミニッツ』という会社を知ったんです。
『3ミニッツ』は、インフルエンサーを使って動画を作る会社の先駆け的存在でした。ありがたいことに、ご縁があって入社し、今に至るという感じですね。
入社してどのくらい経つんですか?
4年くらいです。入社当時は、オフィスが本当に汚くて!(笑)。
初出勤の日、半ズボンにタンクトップ、金髪の人がデスクでゲームをしてるんです。その人が、社内でも結構偉い人ということで、さらに衝撃を受けました。
クリエイティブな仕事の人って、夏はTシャツにハーフパンツというラフな格好の人が多いイメージです。
それから『3ミニッツ』で、ディレクターとしてお仕事をされるようになったんですよね。そんな比嘉さんが、なぜ今度アーティストになることになったのでしょうか?
すべて、セリーナさんのぶっ飛んだ企画のせいですよ(笑)。
『おじ説』のCMを、比嘉さんに作っていただいたのがきっかけでしたよね。最初はもっと分かりやすい企画で進んでいたんですよね。
はい。でもそれを見た『MINE(マイン)』編集長の秦(2018年4月〜、当サイトにて対談『能力開花』)が、『もっと振り切ったほうがいいんじゃない?』と言い出しまして。徹夜して作り直して、戸惑いながらセリーナさんに見せたのがこれです。
「OGO=おやじギャグおじさん」とかは、僕が勝手に考えて入れました。
かなり、振り切ってますね!
僕はこれは一つの面白さにたどり着いた、と実感しましたが、論理で説明できるものではないし、セリーナさんとはお会いしたことがなかったので、どんな反応をされるか不安でした。
でも、動画を見たセリーナさんが「こっちのほうがいいですね」と言ったときは、「いいんかい!?(笑)」と拍子抜けしました。
そう思われてたんですね(笑)。
というのも、CMってすごくロジカルなものなんです。必ず、何かしらの意味が求められます。
でも、セリーナさんは、意味を一切聞いてこないんです。感覚だけでその場で「GO」を出せる感じが、かなりすごいなって。
たしかにCMって、伝えることがすごく大事ですよね。
でも、あのCMって、そもそも『3ミニッツ』と私のコラボという大前提があります。その入り口として、インパクトがあり、素晴らしい出来の動画だと思いました。
初めてのレコーディング
最初は、ナレーションのみのはずだったんですが、リズムのあるその動画を見たら、どうせだったら実績あるプロにクオリティの高い音楽を作ってもらったほうがいいのでは? と思い…。それで、「15秒の曲のデモを、明日までに出してもらえますか?」と音楽プロデューサーの須賀さんに(2019年4月〜、当サイトにて対談『MY SONG』 現在『MY SONGプロジェクト』であるカップルの式用音楽製作中)お願いしました。
かなり無茶なお願いだったんですけど、なんとか作っていただきました。
その時点では、本番は女性ナレーターの想定で、仮で僕が女性っぽくしゃべって声を入れたんです。だからちょっとオネエっぽくなってたんですよ。でも本番ではプロが声を入れるって、普通思うじゃないですか。
でもセリーナさんから、「あなたでいきましょう」と言われてしまって(笑)。
あの映像に、比嘉さんの声がすごくマッチしてたんです。わざとオネエっぽくしてたじゃないですか。それがいいなって思ったんです。
突然のオファーで僕はすごく動揺してたのに、『3ミニッツ』サイドの人間は、誰も間に入ってくれないんですよ。
正直、セリーナさんはどこまで本気なのかな? という疑わしい気持ちもありました。結果的には全部本気だったわけですが。
私は何かを「やる」というとき、冗談で言うことはありません。「やりましょう」と言ったら100%やります。その後、比嘉さんにとって、はじめてのレコーディングをしたんですよね。
レコーディングが終わって、ようやく安心したところに、今度は「元野猿の神原さんという人を知ってるんだけど、あなた対談してくれない?」と言われるわけです。もう、周りも判断できないんですよ。話が行き過ぎて。