2019.07.16

SPECIAL TALKS

Vol.2

お笑い芸人から、CMプランナー…そして今度はアーティスト!?

元銀座No.1ホステスで、現在は実業家として様々な事業を展開している鈴木セリーナと、テレビプロデューサーの神原孝、そして、『3ミニッツ』ディレクターの比嘉久人による、スペシャル座談会。
普通の会社員だったのに、ある日突然、アーティストデビューすることになった比嘉さん。その経緯と、比嘉さんのこれまでの活動を語っていただきました。

文=島野美穂(清談社)
写真=宗廣暁美

PROFILE

神原孝
テレビプロデューサー。1991年4月にフジテレビ入社。『とんねるずのみなさんのおかげでした』ディレクター時代に、音楽ユニット「野猿」のダンサーとして参加。その後『クイズ!ヘキサゴンⅡ』、『全力!脱力タイムズ』など、数多くの人気番組を手がける。2016年よりフジクリエイティブコーポレーション(FCC)執行役員。
比嘉久人
1983年、ボリビア生まれ。小学生の頃に日本に移住し、大学の情報系学部に進学。大学中退後、お笑い芸人養成学校に入学する。ネタづくりから企画に興味を持ち、卒業後はCMプランナー養成学校に入学。映像を本格的に学ぶため、ウエディング撮影の仕事に就く。それをきっかけにWebCMや企業のPR映像を撮影するようになり、映像メディアを自身で立ち上げた後、『3ミニッツ』に入社。
鈴木セリーナ
大分県出身。幼少期から英才教育を受けお嬢様として育つ。16歳の頃、親への反発心からドロップアウト。年齢を隠して、地元クラブのホステスとなる。20歳の頃、「銀座のクラブのママになりたい」と夢見て上京。当時、テレビで有名だった銀座高級クラブ「F」で働く。相手の懐に飛び込むトークと物怖じしない性格が受け、たちまち人気ホステスとなる。その後、銀座老舗クラブ「江川」に引き抜かれ、売上ナンバーワンに。銀座ホステスを辞めてからは、主に文房具を扱う企画会社とタレントのキャスティング会社を起業。マルチクリエイティブプロデューサーとして、ビジネスの世界でも成功を収める。実業界から政界、マスコミ業界まで、様々な業界のトップクラスと親交が深いことでも知られる。

お笑い芸人から、CMプランナー…そして今度はアーティスト!?

SPECIAL TALKS / Vol.2

今回は、比嘉さんのこれまでの歩みについてお聞きしたいです。

僕が大学1年生のとき、父親がお金を持って、蒸発してしまったんです。大学って、学費がバカにならないじゃないですか。もう払い続けるのは無理だということで、退学したんです。

ちなみに、どこの大学だったんですか?

中央大学です。

僕も中央大学。先輩後輩だったんですね!

意外な共通点が見つかりましたね(笑)。

それで、大学を辞めてNSC(吉本総合芸能学院)に入りました。

吉本興業が運営する、お笑い芸人養成学校ですよね?

そうです。僕、ダウンタウンさんがすごく好きだったので、お笑いの道に行こうと決心したんです。NSCに入ってから、4年くらいはまじめにお笑いをやっていました。

NSCの何期生だったんですか?

9期生です。ハリセンボンと同期でした。「リアル」というコンビでやっていたんですが、全然ダメでしたね。NSCも卒業できるかどうか、ギリギリのラインにいました。最終的に、「1ヵ月間、毎日掃除すれば許してやる」と講師に言われて、なんとか卒業できたくらいです。

月謝とってるのに掃除もさせるって、おかしいですよね。

NSCは、相方を探しに行く場所みたいになってますからね。

続けていても芽が出そうにないと思い、お笑いの道は断念しました。
でも、お笑いを分析し、ネタを披露してまた修正して、とやっていくうちに、企画力が身に付きました。
それを活かして何かできないかと思ったとき、CMプランナーの仕事に興味を持ちました。それで今度は、CMプランナー養成学校に入ったんです。
もう一つ興味のあった、ウエディングプランナーの仕事をしつつ、2年間、映像の勉強と仕事を続けました。
ところが、学校を卒業したはいいものの、プランナーの仕事は募集人数が少なくて、全然就職できずに、路頭に迷います。
でも、何かを表現したい気持ちは強くあったので、自分だからできる広告をつくるつもりで、ボリビアに行くことにしたんです。

比嘉さんはボリビア生まれなんですよね。

はい。ボリビア生まれで、8歳で日本に来るまで暮らしていました。
ボリビアは、路上生活者が多く、体の不自由な人が台車に乗って物を売るという光景も珍しくありません。そんなボリビアの障害者支援施設でお手伝いしながら、施設の方や路上で生活する方を写真に収めました。
そして日本に帰ってから、写真展を開催し、得た収益をボリビアの施設に送りました。

写真展を開催するだけでなく、ボリビアの施設にお金を送ることにしたのは、どういう目的からだったのでしょうか。

CMプランナーの学校に通っていたとき、ある先生がおっしゃった『広告とは、経済活動と表現活動の2つが重なってできている』という言葉にすごく共感したんです。
それで、僕なりの経済活動と表現活動をしようという思いから、写真展の企画は生まれました。
また、この経験によって、人のエネルギーを写真に残す楽しさを知ることもできました。

CMプランナーから、アーティストに!

その後、ウエディング業界で映像の仕事に就いたあと、今度は企業からオファーを受けて映像を作る仕事をしていました。そんなとき、『3ミニッツ』という会社を知ったんです。
『3ミニッツ』は、インフルエンサーを使って動画を作る会社の先駆け的存在でした。ありがたいことに、ご縁があって入社し、今に至るという感じですね。

入社してどのくらい経つんですか?

4年くらいです。入社当時は、オフィスが本当に汚くて!(笑)。
初出勤の日、半ズボンにタンクトップ、金髪の人がデスクでゲームをしてるんです。その人が、社内でも結構偉い人ということで、さらに衝撃を受けました。

クリエイティブな仕事の人って、夏はTシャツにハーフパンツというラフな格好の人が多いイメージです。

なるべく楽な格好で仕事したいんですよね。

それから『3ミニッツ』で、ディレクターとしてお仕事をされるようになったんですよね。そんな比嘉さんが、なぜ今度アーティストになることになったのでしょうか?

すべて、セリーナさんのぶっ飛んだ企画のせいですよ(笑)。

『おじ説』のCMを、比嘉さんに作っていただいたのがきっかけでしたよね。最初はもっと分かりやすい企画で進んでいたんですよね。

はい。でもそれを見た『MINE(マイン)』編集長の秦(2018年4月〜、当サイトにて対談『能力開花』)が、『もっと振り切ったほうがいいんじゃない?』と言い出しまして。徹夜して作り直して、戸惑いながらセリーナさんに見せたのがこれです。

「OGO=おやじギャグおじさん」とかは、僕が勝手に考えて入れました。

かなり、振り切ってますね!

ものづくりって、どういうわけか、プレゼンの直前とか、お尻に火が付き始めるころに、面白いものができるんですよね。個人的には、プレゼンの4時間前が、一番、感覚が冴え渡ります。

僕はこれは一つの面白さにたどり着いた、と実感しましたが、論理で説明できるものではないし、セリーナさんとはお会いしたことがなかったので、どんな反応をされるか不安でした。

そういうものですよね。

でも、動画を見たセリーナさんが「こっちのほうがいいですね」と言ったときは、「いいんかい!?(笑)」と拍子抜けしました。

そう思われてたんですね(笑)。

というのも、CMってすごくロジカルなものなんです。必ず、何かしらの意味が求められます。
でも、セリーナさんは、意味を一切聞いてこないんです。感覚だけでその場で「GO」を出せる感じが、かなりすごいなって。

たしかにCMって、伝えることがすごく大事ですよね。
でも、あのCMって、そもそも『3ミニッツ』と私のコラボという大前提があります。その入り口として、インパクトがあり、素晴らしい出来の動画だと思いました。

初めてのレコーディング

最初は、ナレーションのみのはずだったんですが、リズムのあるその動画を見たら、どうせだったら実績あるプロにクオリティの高い音楽を作ってもらったほうがいいのでは? と思い…。それで、「15秒の曲のデモを、明日までに出してもらえますか?」と音楽プロデューサーの須賀さんに(2019年4月〜、当サイトにて対談『MY SONG』 現在『MY SONGプロジェクト』であるカップルの式用音楽製作中)お願いしました。
かなり無茶なお願いだったんですけど、なんとか作っていただきました。

その時点では、本番は女性ナレーターの想定で、仮で僕が女性っぽくしゃべって声を入れたんです。だからちょっとオネエっぽくなってたんですよ。でも本番ではプロが声を入れるって、普通思うじゃないですか。

普通そうですよね。

でもセリーナさんから、「あなたでいきましょう」と言われてしまって(笑)。


あの映像に、比嘉さんの声がすごくマッチしてたんです。わざとオネエっぽくしてたじゃないですか。それがいいなって思ったんです。

突然のオファーで僕はすごく動揺してたのに、『3ミニッツ』サイドの人間は、誰も間に入ってくれないんですよ。

面白がってたんですね、きっと。

正直、セリーナさんはどこまで本気なのかな? という疑わしい気持ちもありました。結果的には全部本気だったわけですが。

私は何かを「やる」というとき、冗談で言うことはありません。「やりましょう」と言ったら100%やります。その後、比嘉さんにとって、はじめてのレコーディングをしたんですよね。

レコーディングが終わって、ようやく安心したところに、今度は「元野猿の神原さんという人を知ってるんだけど、あなた対談してくれない?」と言われるわけです。もう、周りも判断できないんですよ。話が行き過ぎて。

この人は何を言ってるんだろうって、なりますね(笑)。

(第3回に続く)